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女性は経済的にも精神的にも自立している時、自分以外の誰かにすがったり、依存したり、執着することがありません。 だから相手の「条件」などではなく、「この人と一緒に人生を歩んで生きたいかどうか」という純粋な思いで相手を選ぶことができます。 自分自身が経済的に自立していない時は、相手の経済状態が気になりますし、精神的に自立していない時は、どれぐらい相手が自分をかまってくれるか、というところに目がいきます。
ですが、そもそも結婚関係とは、そんな気持ちを土台で結ぶものではないと思います。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、土台に愛がなければ、結婚生活は本当に辛いものになります。愛していない人のためにご飯を作ったり、洗濯をしたりするわけですから・・・それも毎日、何年も。 その健やかな時も、病める時も、喜びの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか。 チャペルでの結婚式で牧師様が言う有名な誓いの言葉がありますが、条件に目がくらみ、これを誓えない相手と結婚した場合、よほど前向きでタフな性格でない限り、毎日の生活に参ってしまうはずです。 親が決めた人と結婚するのが普通だった昭和以前の日本ならば、相手の条件ののみで結婚するということもあったでしょうが、昭和以前の日本女性のような強い精神の持ち主ならば、たとえ条件で結婚した相手とでも一生添い遂げることができるでしょう。 ですが、現代の女性でこれをできる人は相当限られているのではないでしょうか。
それでは、なにをもって「自立している」というのでしょうか。 自立しているとは、貯金をいくら持っているかなどはまったく関係ないし、誰にも頼らず一人の力で生きているということでもありません。厳密に言えば、人間とは最初から、自立などできない生き物であり、たくさんのものや人に依存しなければ、生きていくことはできません。 毎日食べているご飯を一つとってみても、農家の方や、運送業、流通業、お店の方、さらには電力やガスを供給してくれている方々のお世話になっています。そしてそのご飯となるお米は、大地、太陽、水などの恩恵を頂いて育っています。 生きているだけで、これだけたくさんのものにお世話になっているのだということをきちんと自覚し、だからこそ、最低限、「自分でできることは自分でやる」ということが自立なのではないでしょうか。 誰かや何かに依存、執着することなく、自分の面倒を自分でみられるようになった時、人はとても自信がつくと思うし、たとえどんなに少ないお給料で生活していたとしても、少ないなら少ないなりの生活をきっちりできる人はすごくカッコいいと思います。 そしてこれこそ女子力ではなく、完全に「人間力」が必要です。 養って欲しい、大切にして欲しいと、もらうことばかり考えているうちは、この人間力は育ちません。そして人間力がなくても「可愛い」で済み、チヤホヤされるのは、20代前半までと覚えておきましょう。
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