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昔から、数多くのラブストーリーの小説や映画が作られていますが、その恋愛内容の多くは、たった一人を恋人を想い続けるという一途で純粋な恋愛を取り扱っています。 それだけ一途な恋というものは、時代や洋の東西を問わず、多くの人の心を打つものなのですが、執着の愛ということになると、悲惨な結果が待っているケースがほとんどです。 一途な愛と執着の愛は、似ていても大きく異なるのは、執着の愛は、自分ひとりの思い込みであって、相手に対する配慮を忘れていることです。これでは、最悪のパターンではストーカーまがいになることもあるでしょう。 ここでは、「執着」と「一途な愛」との主な違いなどをご紹介しましょう。
「執着」と「一途な愛」の違いとしては、どんな結果が出ても、前向きに受け止められるか、そうでないかの違いではないでしょうか。 たとえば、自分が相手にとても強い愛情を抱いても、なかなか彼はわかってくれません。何度も何度もあなたは思いを訴えましたが、それでも駄目だった場合、そのときに、彼を憎しみだけで見るのか、それとも慈しみの気持ちで見るのかの違いでしょう。 執着している場合は、自分の気持ちが伝わらなかったことで、激しく傷つき、逆恨みをして、相手が不幸になればいいと思うようになります。自分の心のモヤモヤを、相手を悪く思うことで晴らそうとするのです。
もう一つの「一途な愛」は、もし仮に自分の気持ちが伝わらなくても、相手が幸せになることを願って身を引ける人の思いではないでしょうか。寂しさや悲しみはあるけれども、相手の人が楽しそうにしている姿を想像して、優しく微笑むことができます。 相手に伝わっても伝わらなくても、その二つの気持ちには天と地ほどの違いがあります。 「執着」の強い人は、いつまで経ってもその性格を脱ぎ去ることができなくて、同じ過ちを恋愛の中で繰り返します。結果として、いつも暗い気持ちに苛まされるのです。そういう人は、人間に対してだけでなく「物」に対しても執着心が強いものです。他人の物でも奪ってしまいたいと思ったり、自分の手に入らなければ、それを持つ人までも恨んだりするのです。 しかし「一途な愛」を抱く人は、いつも明るく初々しい気持ちでいられるために、誰からも慕われます。自分にとってよくない結末を迎えても、相手の人への気持ちは変わらず、心から幸せを願えるのです。こんな人になりたいものです。 しかし、これはあくまでも一つの考えであって、世の中にはまったく逆の考え方をする人もいるでしょう。執着こそが愛だと考える人です。 しかし言えることは、自分の思い通りにならなかったと言って、相手の人を否定するような人間にはなってはいけないということです。あなたの気持ちを憎しみや恨みで染めれば、その分だけあなたの顔に醜いシワができますので、注意することです。
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